天文年間、読めない字や意味のわからないことばなどを紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふり仮名や注釈がついていたことから、学徒ばかりでなく近所の人まで利用するようになり「かなふり松」と呼ばれるようになったと伝えられています。足利学校の最盛期、第7世庠主九華のころの物語(伝説)です。
版画 小林信夫氏
足利学校の学校門をくぐり、正面左手を見ると、遺蹟図書館の前に大樹がそそりたっ
ています。
中国山東省済寧市の曲阜にある孔子の墓所の孔林から、我が国に最も早く伝えられた
楷の木のうちの貴重な一株で、栃木県の天然記念物の指定を受けています。
今から2500年前、孔子の死を悲しんだ弟子たちは、3年の喪に服した後、その墓
所のまわりに全国から集めた美しい木々を植えて離れました。今も残る70万坪(200ha)の
孔林です。
大正4年、東京林業試験場の場長を勤めていた白澤保美林学博士が孔林から種子を持
ち帰って育て、大正11年にその苗を足利学校、湯島聖堂、多久聖廟、閑谷学校聖廟などへ贈
りました。
雌雄異株で、この木は雌木です。秋には黄色に美しく色づきます。
和名「ナンバンハゼノキ」
宥座とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた「中庸」ということを教えるものです。壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまいます。孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めました。
製作者の針生清司氏(館林市在住)は鍛金の伝統技法の伝承に努め、平成11年に国の「現代の名工」に選ばれています。